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【ニュース】京都市 ごみ屋敷の行政代執行

2015年11月13日

京都市で行われたごみ屋敷の行政代執行

私有地での強制撤去は全国で初めてとのこともあってか、ワイドショーなどでも大々的に取り上げられている。

『家の中のモノを思いきって捨てたあとの爽快感は最高』派の私からはごみ屋敷の住人の気持ちは全く理解できない。

ニュースに登場するごみ屋敷の住人はモノをリサイクル業者に売ってお金にするためにゴミを拾い集めているわけではない場合が多く、しかも意外なことにお金持ちだったりするらしい。

またごみ屋敷は年々増加傾向にあるらしい。

私には理解できない人が増えている!?

なぜだ!?

私なりに分析してみた

そもそも「ごみ屋敷条例」がどれぐらいのレベルでごみ屋敷とするのかはわからないが、この世にはごみ屋敷だけでなく、ごみ屋敷予備群もかなり存在しそう。

私の記憶の中にもごみ屋敷予備群としてエントリーできるもの2軒も存在する

それは祖父母の家と友人の家だ

いたる所にモノがあふれていてスペースを犯していた記憶

さすがに拾い集めてくることはなかったが、とにかく捨てるという風習がない家なので日々モノが増えていく

ティッシュすら再利用していたぐらいだから、捨てるようなものはそうそう生まれてこないわけだ

今思えばごみの回収日は1カ月に1回でも間に合っていただろう

この2軒の家のことを思い出して考えてみると何かと見えてきた。

まず2軒の家の共通点には

  ・家がかなり大きい(土地も広い)

  ・田畑をもっている

  ・いなか 

  ・祖父母世代の人と同居

などがある。

ここから単純に見えてくる

家が大きく、土地が広いと

なるほど

モノを捨てなくても邪魔にならない

田畑を持っていると、

なるほど

生ゴミは肥料、燃えるものは田畑で燃やせば灰は肥料

(今は勝手に燃やせないらしいが)

いなかに住んでいると

なるほど

隣の家との距離があるので、ごみが溜まっていても迷惑になりにくい

祖父母世代の人と同居していると

なるほど

祖父母世代の人は育った時代がモノ不足時代だった(今見たいにモノがあふれている時代ではなかった)からモノを大切にする人が多い

なるほど

ごみ屋敷予備群ではあるが、ごみ屋敷にならない理由がみつかった

とすると

祖父母世代のような捨てない風習のある人が

家はワンルームで土地はなく、田畑もない都会の住宅街に住み始めたら・・・。

ほほー

もしかしたらごみ屋敷の背景が見えてきたかもしれない。

昔はモノ不足だったからモノは使えなくなるまで使っていた、使えなくなって初めてゴミ。

昔のモノは機能性より丈夫な耐久性のあるものが重宝されていたことともつながる。

まだ使えるモノがゴミとして捨てられる今ならゴミとは思えない人は拾いたくなるかもしれない。

『これ!まだまだ使える!』みたいな感じで。

リサイクル業界が成長してきたことともつながるし、ごみ屋敷の住人が『ゴミじゃない』ということともつながる

まだ深堀りできそうだが・・・そろそろ

ピントが近いとただ

ごみ屋敷の住人個人の問題(なまけ癖だったり収集癖だったり)に見えるが

ピントを引いて広く見ると

ごみ屋敷は世の中の流れで当然に生まれてくる問題なのかもしれない

桶屋が儲かるのが悪いことなら風を止めるしかないと言うつもりはないが、風が吹いたのかもしれないという視点も必要な時代かもしれない

ごみ屋敷のニュースで記事にしようと思ったところ

書き進めると色んな方向の考えが浮かんできて

まとめるのが大変だった(まとまっていないが)

しかも途中でごみ屋敷に興味がないことに気づく

ごみ屋敷をテーマにしたことを後悔しつつ、とりあえず書き終えてみた

疲れました